静かに、自分の現在地を見つめ直したくなった。
日々の忙しさのなかで、ぼくは何を求め、何を手放し、
どんな願いを胸に抱いているのか──。
ふと立ち止まり、「いまの自分自身」を言葉にしてみたいと思った。
これは自己紹介ではなく、記録でもない。
むしろ「知ってほしい」というより、「いま、こう在りたい」という祈りに近い。
思考の輪郭や感情の襞をなぞりながら、
この場所「Not Knowing Journal」の底に流れる想いを綴ってみる。

この記事を書いた人
ヒラク
NOT KNOWING JOURNAL 運営・執筆
早稲田大学 政治経済学部 政治学科
→ 総合医療機器メーカー
→ フリーランス(ライター・ブロガー etc)
なぜ今、「ぼく自身」を語るのか

静かな季節の始まりには、何かを整えるような心の動きがある。
ひとつの暮らしを立ち上げ、言葉を綴る場をつくった今、あらためて自分という存在をじっくり見つめてみたくなった。
「ぼくは、どこから来て、いま何を思い、どこへ向かおうとしているのか」
そんな問いを、自分自身にも、そしてこれから出会う誰かにも差し出したい。
これは単なる自己紹介ではなく、これまでを受け止め、これからを選び取るための「中間報告」のようなものだと思っている。
名刺のような完璧なプロフィールではなく、不安定さも含んだ、揺れる声のままで語ってみたい。
未完成であっても、「わからないまま書く」という態度そのものに、ぼくはいま強く惹かれている。
この場所にたどり着いてくださったあなたに、ほんの少しでも何かが響けば嬉しい。
そんな願いを込めて、まずはこのページから、ぼく自身を語ってみようと思う。
ぼくをかたちづくったものたち

人は「経験」によってつくられる、という言葉があるけれど、
ぼくの場合、それはもう少し曖昧で、もっと静かなものだった気がする。
コンビニもないようなのんびりとした町で、生まれ育った。
夕立のあとに立ちのぼる、アスファルトと土の匂い。
遠くから聴こえてくる、草刈り機の音。
部活の帰り道に眺めた、満天の星空。
そんな「名もなき記憶たち」が、今のぼくの思考や表現の土壌になっている。
一方で、時間とともにさまざまな「知識」が、体の中に沈殿していく。
それは同時に、現代社会への違和感や、生きづらさを生むことにもなった。
それも、ぼくを形づくってきた背景だ。
「速く、多く、強く」という価値観から距離をとり、
むしろ「遅く、少なく、深く」在ることに戻ろうとする生き方は、
過去の経験の積み重ねの果てに、ようやく見えてきた自然な流れなのかもしれない。
懸命に身につけてきた「知識」が、実は自分の視界を狭めているのではないか。
むしろ「知らない」に立ち戻ることが必要なのではないか。
そう思うようになったのは、つい最近のことだ。
いま、ここで暮らしていること

ぼくはいま、ミニマルな暮らしを選び、
身体の声に耳を澄ませながら、静かな生活を送っている。
朝は走り、昼は書き、夜は静けさに溶け込む──
そんな日々にこそ、ぼくが求めていた「生きる」があるのだと、ようやく気づいた。
この暮らしは、何かを足していくのではなく、
削ぎ落としていくことで「本当に大切なもの」だけを浮かび上がらせる営みだ。
物を減らすことは、心を澄ませることに通じていて、
そうして現れた余白に、言葉がぽつりと降ってくることもある。
走ること、書くこと、そして学ぶこと──
それはただの趣味ではなく、ぼくにとっては「生き方そのもの」になりつつある。
日々をどう生きるかという問いに対して、
答えではなく「姿勢」で応えようとする、ひとつの試みだと思っている。
いまや、「人間らしく」生きていくことは難しい世の中になってしまった。
家から一歩も外に出なくても、ウーバーがおいしいご飯を持ってきてくれる。
気に入らないやつがいたら、顔も名前も出さずに、罵詈雑言を浴びせることもできる。
便利で、手軽な時代——
けれど、このどこに「人間らしさ」があるだろう。
「どう生きるのか」という問い を常に持ち続けていなければ、知らぬ間に人間らしさを奪われている——
ぼくたちは、そんな時代を生きているのだ。
この場所「Not Knowing Journal」について

このブログの名前を「Not Knowing Journal」と名づけたのは、
「知らない」ということを恐れずに、むしろ抱きしめたいと思ったからだ。
ぼくたちは、正しさや答えを欲しがる社会に生きている。
知識を積み上げ、効率を競い、立ち止まることを許されない。
けれども、本当に大切なことは、
「わからないままでいること」から生まれるのではないか──
そう感じるようになった。
知らないことに対して、すぐに意味づけをしない。
わからなさの中で揺らぎながらも、
自分の言葉で問い直し、手探りで道を見出していく。
このジャーナルは、そんな静かな営みを記録していく場だ。
綴りたいのは、表層的なノウハウや答えではなく、
日々の暮らしの中でふと立ち止まってしまう瞬間や、
心の奥で引っかかった些細な違和感。
あるいは、誰にも言えなかったけれど、大切に抱えてきた思い。
それらを、少しずつ丁寧に言葉にしていきたい。
読者とは、答えを共有するというよりも、
問いをともに抱く仲間 として関わっていきたいと思っている。
「それ、わたしも感じてた」と思ってもらえるような、
あるいは「そういう見方もあるのか」と一度立ち止まるきっかけになるような——
そんな文章を届けられたら嬉しい。
ここは、迷いも曖昧さも歓迎する場所だ。
わからなさの中にとどまる勇気を持つ人たちと、
静かに問いを重ねていく──
そんな小さな灯火のような空間を、
「Not Knowing Journal」として育てていきたい。
結びに —

まだ言葉にならない想いもたくさんあります。
けれど、それらもまた、自分の一部として抱えながら、
今日という日を綴っていきたいと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この「Not Knowing Journal」が、
あなたの日々にとって、ほのかな灯となりますように。
📬 ことばが、どこかであなたに触れたなら──
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