Not Knowing Journalについて
この世界は「知っていること」で溢れています。
名前のあるもの、定義されたもの、説明のつくもの──
けれどぼくはフリーランスとなり、社会と距離を置くようになってからあることに気づきました。
それは、自分がこれまで身につけてきた知識のせいで、自らの視野が狭くなってしまっていたこと。
そして、その知識は、「どう生きるか」という問いの前では、何の役にも立たないということ。
だからこそ、ぼくは「知らない」に立ち返ることを選びました。
見えないものに向き合い、わからなさに沈んでいく。
それは怖くもありますが、同時に人間として最も自由な態度でもある、とぼくは思います。
このブログが扱うこと
この場で扱うのは、「正解」ではありません。
日々の暮らしの中でふと立ち止まったときに生まれる問いや、
言葉にならない思い、心の奥底でかすかに灯る感覚。
そうしたものたちを、静かに拾い上げるように綴っていきます。
その歩みは、以下の4つの領域をめぐります。
▨ 問う / Ask
読むこと、学ぶこと、そして考えることを通して、
世界を「知っていること」から解き放つ。
問いは答えを求めるためのものではなく、
生き方そのものを掘り下げるための道具です。
▨ 在る / Be
速さや効率から距離を置き、
ただここに「在る」という感覚に立ち返る。
走ること、暮らすこと、触れることを通じて、
身体を媒介に、世界と自分の輪郭を見つめ直します。
▨ ひらく / Open
扉をひらいて、他者や土地、物語と出会う中で、
自らの輪郭もまた変わっていく。
繋ぐこと、旅すること、観ることは、
世界の声に耳を澄まし、その響きをあるがままに受け入れる行為です。
▨ つむぐ / Weave
気づきや出会いを、言葉として、記録として、あるいは創作として
静かに紡いでいく営み。
綴ること、記すこと、創ることは、
過去をたぐり寄せ、未来に手渡す「声なき声」となると信じています。
書いている人について
ヒラクと申します。
地方の公立高校から一浪を経て、早稲田大学 政治経済学部 政治学科へ。
総合医療機器メーカー勤務を経て、
現在はフリーランスとして活動中です。
趣味は、ランニング、落語鑑賞、そして高校野球。
ものを持たないミニマルな暮らしを心がけ、
一日一食のリズムの中で、身体と精神の静けさを大切にしています。
社会の喧騒から少し距離をとって、
問いとともに生きるスタイルを模索し続けるアラサーです。
この場に寄せる祈り
このブログは、何かを「教える」場所ではありません。
むしろ、知識を手放し、「わからないままに生きる」ことを肯う場所です。
問いにとどまり、揺らぎを引き受ける。
そんな日々の中で、少しずつ世界との関係を結び直していけたら──
それが、この場に託したささやかな願いです。
副題は、
Beyond Knowledge, Toward Lightness
──知を超えて、かろやかに。
積み上げてきた知の塔を一度壊して、
もっと根源的な方へ歩いていく。
重さを力に変えるのではなく、
重さから自由になるという選択もまた、ひとつの生き方だと信じています。
この記録が、どこかの誰かの、静かな旅の道標となれば幸いです。
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